見えとは?/ レイク
[ 118] 見えない道場本舗
[引用サイト] http://d.hatena.ne.jp/gryphon/
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片方は、ウマイヤ家を含む伝統的なカリフの権威を認めるスンニ派、もう片方は四代目アリーからのカリフは認めないシーア派です・・・・・(笑) って、ネタである様でいてネタじゃない。 実際のとこ、今度旗揚げした全日本柔術連盟(JJFJ)というのは、渡辺孝真氏が理事長なのだが「これはヒクソン・グレイシーの意思なんです」というのを錦の御旗にして乱を起こしたのだ。 現在、日本で一番大きい組織は中井祐樹氏が会長の日本ブラジリアン柔術連盟(BJIFJ)なのだそうで、こちらは「複数の連盟があっても何も問題は無い。逆に何が問題なのか教えてほしいぐらいだ」と静観の構え、生徒も自由にJJFJに出られるそうだ。 もともと日本の柔術道場は、実は本場ブラジルよりオープンで、あっちのほうこそ「あの道場はXXの系譜だから」といって出稽古とかできないらしく、そういう自由な気風を作ったのがセンセイ・ナカイだとのことだ。 問題はサークルでやっている人たちが、試合だけポンと出て勝手、そこで連盟が帯をあげてしまったこと。ここで狂ってしまう。なぜかというと、今までしっかりと柔術を学んだこともなければ先生もいない。系列が無いんです。それなのに試合に出て勝って紫帯になり、黒帯までもらってしまったらこれは大きな問題です。この練習生たちは本物の柔術を覚えていない、系列が途切れてしまっているからです。 ちゃんとした正しいベースがないと、ある程度のところから上にはいけない。だってぐらいシーたちは80年間研究を重ねて、今はみんなにノウハウを渡せるんですから。今の日本は近道を行っているようで遠回りしていると思います。 古武道とか伝統の芸、技術というものに対してしばしば投げかけられる話ではありますが、あとは大会、試合というのが「場」=自由なる市場、なのかという問題でもある。 実は作品紹介、もしくは「架空名勝負列伝」ともいうべきシリーズを作りたいと思って保存したデータだが、いい機会なのでついでに紹介しよう。 技術論をドラマに組み込むことでは新鋭・ひぐちアサすらまだまだ及ばない、河合克敏の「帯をギュッとね!」では、高校の都合で中学までやっていたレスリングができず「じゃあ柔道の中でレスリングの強さを見せてやる!」と、たった一人で異種格闘技戦に挑む長谷という選手が出てくる。 これと主人公の側(軽量級の、なんつったかな?コメディ担当の脇役だ)の試合が、30巻に及ぶシリーズの中でも白眉の名勝負となっている。 アマレス野郎長谷がレッグダイブ(両足タックル)、巻き込み一本背負い、がぶりからのパンケーキ、とトリッキーかつ柔道ルールで合法的なレスリング技を出せば、名前忘れたチビの脇役は巴投げ、絞め技など、アマレスでは見られない技で対抗する。その結末も含め大変スリリングでドラマチックだ。 ところが私とかの柔道ですら、双手がりとか下から十字とか、そういうことをやっていると年配の、町公民館でボランティア指導してくれているような年配の方から「品の無い柔道である」と説教をいただく。 しかしルールの範囲で、他の文化、異種の競技の技術が入り、それが席巻するということで、それが最後には自流派に取り込まれ、競技が完成されていくこともままあることだ。松原隆一郎教授はかつて「講道館の柔道(ルール)は、異なる各種の柔術流派が強さを競える『異種格闘技の場』としても歓迎された」と指摘した。つまりは明治のPRIDE、K-1・・・いわば「J-1グランプリ」だったわけだ。 今の柔術界はそこからさらに一歩進んで(というべきだろうか?ここが争点なのだが)上の渡辺コメントにあるように、今まで日本では、大会で勝つと黒帯がもらえる(もらえた)ようなのだ。 「バキ」でも翻案されたが、日本のボディビルの開祖といえる若木竹丸は講道館の猛者を、技術も何もなくポンポン投げ飛ばし「五段になるには何人四段を投げ飛ばせばいいのか?」と聞いた(当然ダメだったようだが)という。 しかし、目先の大会に勝とうが負けようが、先人の考えた知恵を繋げていき、保存するということが、古い教えを師から受け継ぐ意味であるという考え方もある。これは「拳児」台湾編でムエタイなどを取り入れようとした男が悪役扱い(モデルは何とフルコンタクトKARATEの山田英司氏)されているのが印象深い。 実際、バス・ルッテンはパンクラスやUFCの実績を引っさげてビバリーヒルズのセレブを相手にジムを開き繁盛しているのだが、須藤元気によると「ルッテンの腕十字や足関節の取り方は、彼ならではの瞬発力、パワーによるものでアレを教えられても真似できない(笑)」というのだ。 松原氏は例えば、柔道において「国際ルールはあらゆる技術を争う自由な場。日本柔道は、講道館が考える伝統の美というものに沿った、日本ならではのルールや技術体系で大会を開くと使い分ければいい。日本柔道のキレ重視などは実際に、世界に対抗する技術として有効なのだから結果的に国際大会でも生きる」としていた。 4億年もの間ほとんど姿を変えずに生き延びてきた「生きた化石シーラカンス」。2メートルにもなる深海魚です。 知名度と裏腹に今もその生態は謎だらけ。最近シーラカンスが次々と漁師の網に引っ掛かるというアフリカ・タンザニアの不思議な海を、最新鋭の潜水艇で大探索。世界で初めてこの海のシーラカンスの撮影に、水深200メートルの海底で成功しました。手足のようなヒレや謎の逆立ちなど、大接近して得られた映像から4億年の生き残り戦略を解き明かしていきます。 私は疑っているのだが、本当にシーラカンスはむかしのいきものなのだろうか?リンク先の動画を見る限り、私はどうも のような気がするんだよね。作成したのは宇宙人か海底人か、ナチス第三帝国の生き残り「ラスト・バタリオン」なのか。それはちょっとわからない。 2008/04/06 11:28 BJIFJの方もサークルや練習会の公認審査を厳しくしたり帯の昇級に年数制限を設けるなど始めていますね。ただ同時に、今までレスリングや柔道、サンボなどを経験してきた人間がサークルを作って練習し、試合に勝って黒帯を取得した途端、「今度からはサークルで練習して、試合で勝っても帯は上がらないから」と自分たちの事は棚に上げて言うのはおかしいという反発もありますね。(特にBJIFJはそういう人たちが役員をしてますから)。どちらにしろ、柔術は「サークルなどの少人数でも気軽に出来る」という敷居の低さ、「勝てば認めてもらえる」という実力主義が売りだったので、規制を始めれば競技人口は減っていくでしょうね。 ……最終的に今回のようなかたちになりました。石田選手やほかの選手が納得できない気持ちもわかりますが、大会をやっていく中で組まざるをえない ……ああいうふうに石田選手が言う時点で熱はあると思いますので、それをリングの上でぶつけてもらえればと思います 私が昨日、「谷川黒魔術」じゃなくて「笹原ダメ魔術」と言ったろ?まさにこれだよこれ。こんなん(団体の運営への不満は熱だ!という論法)なら、MARSなんか熱がありまくりってことに(笑)。ああ、MARSを背負って闘うエディ・アルバレス(背負ってません)のあまりの強さに、そのシステムを学ぼうと思ったんだろうか。 現在もアイランダー(島土着の人々)やアボリジニー(オーストラリア原住民)に限り、伝統文化の保護を目的としたジュゴンの生存捕獲が認められていて、ジュゴンハンターと呼ばれる人たちがいる。 もっとも、国や州政府は国際世論への配慮から、あまり大っぴらにされることを喜ばず、私が取材を申し込んだら写真撮影を拒否されてしまった。 ところが、幸運にも木曜島滞在中にたまたま有力者の家で祝い事があり、ジュゴンのシチューのお相伴に与(あずか)ることができたのだ。 食べてみて初めて、これでは密漁してまで食べようという不届きなヤツがいるのも無理はない、と納得・・・ 私は「野生動物でも数的に再生産の余地があるなら狩ってよし、食ってよし」だし(だからカンガルー食肯定)、「数が少なくても郷土や民族の伝統なら、殺し方の残虐性がどうとかも含めて、まあよし」(アイヌのイヨマンテも含む)なので、ジュゴン喰いにまったく文句ありません。 ということを自社が一年前の地方版の寄稿記事に載せたのに、それは今現在の状況でニュース価値を持っていることに気づかず腐らせている新聞社だよ。 是非ともこの新聞の支局でもいいし、他のテレビメディアでもいいが「すさみ町立エビとカニの水族館長」森拓也の所にいき、映像つきでこのジュゴン捕獲と食、そして取材や研究を隠蔽する体質に対してインタビューを撮って来い。 (もちろんそれを野蛮視するのは間違いだ。海に住む哺乳類でも場合によっては獲っていいのだ、というコンセンサスが形成されればいい。それでも捕鯨は、もしくは南氷洋捕鯨は例外だという主張はあっていいが、クジラは頭がいい人間の友達、というような低レベルの議論を牽制はできよう) ただ、プーさんって子供の心理に立った、スペルのいい間違いとか掛け言葉とかもたくさんあって、原作に愛情いっぱいの石井桃子さんが苦労と工夫を重ねに重ねて現在の訳になっている(トテモチビノ・カブトムシ)や「がいしつ すぎかえる いすがし すぎかえる」とかね。これをクフロ(フクロウ)が誤解するところも自由に意訳している。 彼の作品を元に番組を作った悪の帝国ディズニー。彼らが本当に何もこの事態に対して手を打っていないのだろうか? そもそもミッキーマウス自体に、まだ権利のしばりをかけることに成功しているやつらだ。いかなる手を打っているのか・・・・・・。 しっかし連中、一体なにやってんのかね。谷川さんとか榊原さんとかだったらもう決着つけてるんじゃなかろうか。高田さんだったら「流れの中ですから」の一言で終了。 他は面白く読んでいる同サイトのコンテンツの中でもやる気のなさを感じるコーナーだが、今回は珍しく情報っぽいことが書いてある。 僕はてっきり純粋に、ルール解釈と映像で見ての判断が技術的に難しいから裁定が長引いているのだとばかり思っていました(日付を三日前に戻したい…)。 「靖国」上映禁止問題。昨日から書いているが、昨日のエントリの「時系列」の部分で、少し実もふたも無いとこから、即物的な解決策を考えよう。 なぜ映画館が上映を中止するか。おそらくまっとうな批判や抗議に目からうろこがおち、反省改心いたしましたということではなく、街宣車に代表される、論理や説得力でなく単純に「うるさい」「迷惑」という力に対抗しにくいから、ということが挙げられるだろう。 (1)それは相手が「煩い」とか「やかましい」とか「怖い」と感じてるだけだとしても、外形的には「私たちは彼らへの『適切な批判』を、言論という形で皆さんや相手に訴えているのだ」「普通のデモみたいなもんです」「要求を受け入れた(例えば上映中止した)のは、私たちの訴えに納得してくれたのだろう」と主張できるからだ。 (2)あと物理的に、騒音という武器は銃刀法やら凶器準備集合罪やらにひっかからない、そして建物に立てこもった相手にも遠く届く、日本ではめずらしい使い勝手のいい武器だからだ。 日教組の大会が潰された。映画上映が中止になった。これは右翼の〈思想〉が伝わり、〈思想〉に納得してやめたのではない。右翼はうるさい。何をやるか分からない。お客の迷惑になる…という理由でやめたのだ。 俺もそこで、相当乱暴に細部を詰めないまま言ってしまうが、とりあえず、いわゆる右翼の街宣車的なもので、一番の武器・・・つまりスピーカーを取り上げてみてはどうか。車にいわゆるメガホンのスピーカーをつけること、そこから音を流すことを基本的に禁止する。 これは映画館の立場で想像する話だが、他の抗議(いやがらせ)が残っても、とりあえず街宣車のスピーカーから流れる音と声がなければ、少なくとも上映を辞めようとまでは思わなかったんじゃなかろうか。 もちろんいろいろ問題はある。カーステレオを大音量で流すのと同じような形では?車がなければ歩いてスピーカー(ハンドメガホン)で街宣するのでは? 選挙は?これはまあ今でもやっているように、そういう人には逆に特別に、彼らだけに許可を与えればいい。 そして例えばイラク反戦とか格差是正を訴えるサウンドデモ…たとえば拉致問題解決を目指す家族会の街頭での訴えも?キリストへの帰依を進める説法も? うん、それらを含めてもだ。これも右翼と同様、徒歩でメガホンを使うならいいとしてもいい。(それでもまだダメなら車だろうと徒歩だろうとメガホンを公共の場では使えないとしてもいい) すべてはリスクとベネフィットの相関であり、逆に言えば社会がどれぐらいの犠牲を払って、右翼の街宣車というものを排除したいかということだ。 そして結局、映画館もホテルも、思想がどうのこうのというより「騒音がうるさい」という即物的な部分しか気にしてないことが、おそらくもしこれが実現すれば分かると思う。 で、ここで映画館側にやってほしいのは、そりゃ映画館へのご意見を聞くことは必要な場合もあると思うが・・・たとえば「上映中止や上映延期の要望は全てメールのみでお寄せ下さい。面会要求はあらかじめお断りします」と宣言することだ。複数の上映館が一斉に宣言してもいい。 直接会うことによる威圧感というのも、相手がもし主観的には紳士的に話し合いをしたと考えてももあるだろう。 しかし、面会やら面談、話し合いというのも相手が要望するなら、そのルールの設定をまずは手放さないことだ。 なんかに対してもか。そうだ。そういうのもまとめて「ご要望はメールのみでお願いします」です。四角四面に、どっちがどっちか知らないが、よき上映中止要望も理不尽な上映中止要望もまとめて処理する。誠実に要望者と話し合う場なんかは設定しない。 昨日付のエントリでは時系列で問題点(自由と権利)を分けたね。これが錯綜し、積み重なると思想的には面白い。 だが、この部分(昨日で言えば下から二番目)だけを切り取って処理すればなんのことはない、この「ミンボー」レベルの淡々としたしろものだ。 そして、「でっかい音はうるさい」というレベルで、スピーカーつきの街宣車を社会から排除してしまえば、問題の多くは片付いてしまうだろうという自信を持っている。 副作用ももちろん出てくるから、どれだけの賛同があるかは分からないが、まあ1ブロガーとしては具体的な案を出したことでよしとしよう。 川原泉の人気少女漫画を、上野樹里、伊勢谷友介らを迎えて実写映画化。超お嬢様学園に転校した庶民派女子高生の奮闘を描いた痛快学園コメディ。 2005年/ジェネオン 天宙清平修練苑では全ての世界が天のもとに一つの御旨に皆が心を合わせ、自然を愛し平和を思慕し共に和合する山水苑活動の趣旨に沿ってVIP復帰,平和大使,壮年壮婦復興の為の特別イベントを今年も下記の様に実施する事になりました。 TPが特別に訪問し祝福して下さった韓国の東海岸に位置する束草(ソクチョ)のパインリッジ・カントリークラブにおいて開催されます。 この期間に清平特別修練会に参加され先祖解怨式と祝福式の恩恵を受ける事が出来る様になりました。 今回の特別イベントを通して韓日間の国際的な交流および地域的・宗教的な障壁等を越えて和合と心情交流が美しく深い秋の空の様に成される事を祈願いたします。多くの愛とご協力をお願い致します 2日、101歳で亡くなった石井桃子さんは、生涯現役で、子どものための本について考え続けた児童文学者だった。葬儀は故人の遺志で行われず、後日、お別れの会が東京都中野区の東京子ども図書館で開かれる予定だ。 1月末の朝日賞の贈呈式には車いすで出席、「朝日賞をいただいた人間ですといってこの世を去るよりも、六つ七つの星に美しく頭の上を飾られて次の世の中に行きたいと思っています」と石井桃子さんらしいスピーチをして会場をわかせた。 昨春、100歳になった石井さんにインタビューしたとき、脳の発達と子どもの本とのつながりについてさらに深めたいと話していたが、「あの続き、もう考えられなくなったの」。贈呈式の控えの間で休みながら、いかにも残念そうだった。最後の最後まで現役の児童文学者だった。 クマのプーさん、ピーターラビット、うさこちゃん……翻訳、執筆した主な作品だけで200を超える。この半世紀以上、日本の子どもたちは「石井桃子さん」が手がけた本を楽しんできた。海外のすぐれた物語や絵本を紹介することで、日本の児童文学は幅を広げ、豊かになった。 石井さんの文章には、きれのいい響きと快いリズムがあった。わかりやすく美しく、いさぎよくユーモアが漂う。 人柄も生き方も、まったく同じだった。26歳でA・A・ミルンの「クマのプーさん」に出合ったときから、子どもの本とは何か、ひたすら考え続けてきた。先輩作家の坪田譲治らとの論争も辞さず、50年前、自分の家を開放して「かつら文庫」を始めたように、実行力もあった。 私は「ノンちゃん」も「ピーターラビット」もしらんし、実はこうやって追悼の時を書くほどに影響を受けた「くまのプーさん」も「ドリトル先生」も、正式な訳は思春期のころに読んだ。うさこ=ミッフィーに至っては「この絵で●億円か」考えるような汚れた大人になってからだ(笑) 「くまのプーさん」を自身で訳したことはいうまでもないが、「ドリトル先生」も原書を読んでああ訳すべきだと企画を親交、井伏鱒二を訳者として起用したが井伏は作家らしく仕事に手をつけない。そしたら石井は下訳をすっかり済ませ、それを井伏に突きつけて否応なく翻訳作業に取り掛からせた・・・・と聞いている。 それどころか、ドリトル・シリーズの大半が井伏鱒二訳になっている。なぜ、そうなったのか、その背景にすこしだけふれておく。 昭和15年のこと、石井桃子は文芸春秋社をやめた退職金で白林少年館をつくり、当時の暗い世相を打ち破る少年少女むきの出版に単身でのりだした。その第1弾が本書であった。石井は翻訳(下訳)を自分でやり、そのブラッシュアップを、当時、近所に住んでいる井伏鱒二に頼んだ。 井伏のブラッシュアップはすばらしいものだった。翻訳というより、ほとんど日本語の文章をこしらえた。たとえば、ドリトルもふつうに訳せばドゥーリトゥルで、あえて訳せば「薮博士」というところだが、それを日本の子供の発音でも親しめるドリトル先生にした。そのほか「オシツオサレツ」「アベコベ」などの動物たちの名前や冒険先の国の名前にも工夫を凝らした。 戦後、石井はふたたび決断をして、岩波書店にドリトル先生シリーズを出させる約束をとりつける。井伏にも翻訳をひきうけさせた。岩波もこれに応えて全12巻の刊行をひきうけた。 ちなみに石井は、さらに独力で「かつら文庫」という貸本型の児童図書館をつくっているが、そこで最も読まれたのはドリトル先生シリーズだっという。子供たちは一冊読んだらやめられなくて、途中で放棄する子供は一人もいなかったともいう。 プーさん、ドリトル先生を選ぶガンリキだけで、日本文化史に燦然と輝く不朽の功績が刻まれているはずだ。 そして職業女性(どころか企業経営女性)のはしりとしても活躍、101歳まで生涯現役なのだったら恐れ入るしかない。 かつら文庫には阿川弘之の二人の子供(阿川尚之、阿川佐和子)も入りびたりとなって、いまのようなオトナに育った(笑)。阿川は日本人の訪米・アメリカ紀行や留学記録からアメリカ文化論を読み解く本「アメリカが見つかりましたか」の中でも、石井桃子の児童文学教育を学ぶ訪米の旅を取り上げている。 石井氏はそのかつら文庫に顔を出していたというから、いつかこの世紀の巨人の顔をおがんでやろう、という希望が当方にはあったが、これでその夢はかなわなくなったようだ。 むかしむかし,大むかし,まだまだむかし,この前の金曜日ごろなんだがね,くまのプーさんが、森のなかでただ一人,サンダースの名のもとに、住んでいました。 そんな石井訳の「くまのプーさん」を読んだわたしにとって、ディズニー版の「プーさん」…いやちがった「プーさんの名を僭称する賊徒」(自由惑星同盟の帝国側の呼び名じゃないって)は本当に敵以外の何者でもない。 平成の世に異端審問とかそういうのが無いのが残念だ。権力があったら事前検閲をしたかったところだ。 ところがあにはからんや、さすが著作権ビジネスの上昇腐敗、いや常勝不敗の帝国ディズニー。なんとこっちのシェパード氏の絵の権利も予防的にがっちり契約、保持しているんだってさ。 そこまでビジネスに徹するとあっぱれである。でもさ、それならピーター・ラビットだってそうできるんだから、あの絵柄のままそのまま動く作品をつくってよ。 そうすればディズニー社も、大悪人が地獄へ落ちても一回だけいいことをしたご褒美にくもの糸を垂らしてもらえたように、ちょっとだけいいことをしたとして後世評価される。 「なんでえ豚公か、みてわかんねえか、この怪しい足跡を追ってるんだ。なんか化け物みてえなんだが、丁度いいやお前もつきあえ」 そこで、大樹の上から声が。木に上って絶景を見ながら休んでいたご隠居さん(原作ではクリストファー・ロビン)。 ショートショートの名手、SF作家の星新一(1926〜1997年)。奇抜な発想とぐう話性、ウィットと少しの毒に満ちた作品は、時代を超えて今も新鮮な輝きを放つ。彼の世界を、新進気鋭の映像作家によるざん新なアニメと新感覚のドラマで映像化する新番組。お届けする作品は、宇宙人と少年が交わした約束を描く「約束」、不眠症に悩む男が治療を受ける「不眠症」、バーの看板娘が実はロボットだったという「ボッコちゃん」。 2008/04/04 08:25 いや外形的に「スピーカーのついた車で大きな音量を発して走るのを禁止する」という場合、「選挙カーはどうするんだ?」という問いに上では「立候補者は特別許可を」という案を出してますが「一律禁止」も大いにありえるでしょう。すくなくとも原理的な部分では同じですし、後はさじ加減にすぎません。 2008/04/04 12:54 街宣車を禁止することで解決する問題じゃないよ。「ミンボーの女」を見たんだよね?営業妨害する方法はいくらでもあるんだから。そもそも映画作りそのものを妨害されたという話ではないわけで。この問題って映画館で商売するってことと、言論表現の自由がごっちゃ混ぜになってないか?渡辺文樹なんてどこの映画館も受けてくれないから、自分で公民館を借りて自主上映してるからね。毎回、右翼や公安とケンカしながら(笑)。 2008/04/05 01:11 ニュースはみました。が、一度上映を決めた映画を中止する理由としてはイマイチ弱い気がします。脅迫や迷惑行為など警察が動けるだけの妨害工作があったという記事は見ませんでしたし、映画館側は上演すると決めたなら多少の事があっても上演するのではないでしょうか?今回、上演しないと決めたのは別の要因があったからではないでしょうか? 2008/04/05 15:14 つまるところ「ややこしいことには関わりたくない」ってことでしょ。結局マスコミが「言論表現の自由の危機だ」と大騒ぎしているのも、「靖国反対」キャンペーンに利用しているだけのご都合主義なんだよな。これが「同和利権」の問題を追及する映画なら、マスコミは見て見ぬふりするんじゃないか。 2008/04/05 21:24 ちょっと古い話題になりますが、『パールハーバー』上映の時に、民族派や保守派の方から上映反対の動きとかなかったんでしょうか。あの映画、事実を無視して南雲機動部隊の艦載機がハワイの市街地に攻撃加えてるし、米軍が爆撃したのは日本の軍需関連施設だけになってるし、見たとき、かなり国辱的な内容だと思ったのですが。 私たちにとってそれは素晴らしいことだ。そういうファンはロイヤリティが高い。WWEのファンはロイヤリティが高くて、ハードコアな人が多いのだ。お気に入りのレスラーの良い時や悪い時をちゃんと知っていて、レスラーのしていること、バックグラウンドのストーリーを把握している。スポーツ的要素とエンターテインメント的要素のニュアンスを愛している。だから、まさにそのようなファンこそが、全く同じ理由で、UFCのコアなファンになってくれる。好きな選手を追いかけ、選手の成長ぶりを見届け、本当の値打ちを見いだしてくれるんだ もちろん新日はのちにUWFを生み、アントニオ猪木がそのまま格闘技のアイコンとなったような”幻想”があった。だからこそ、そのままゼロサムゲームのようにPRIDEが取り込んだ客はそのまま新日離れを起こした(と思う)。 ただWWEというのもそういう面は確実にあるんじゃないか?いくらスポーツエンターテインメント、ガチかどうかなんて言うも野暮、な最高のショーがWWEなんだとしても、ほら古今東西子供ってバカですから(笑)。 「世界最強の男?もちろんビッグショーさ!なにしろでっかいもん」てな純真な子供ファンは確実にいるであろうし、それが大きくなって、ああこっちがリアルなんだね、とアイドルの対象がチャック・リデルになる人もいるのだろう。 ・・・WWEのファンの特筆すべきもう一つのことは、まさに文字通り、彼らは消費者である、と言うことだ。PPVであれ、グッズであれ、彼らはポケットからお金を出して商品を買ってくれる。(略)そういう人たちはテレビにお金を払うことになれているし、ネットで情報を集めてくれるし、Tシャツを買うにも抵抗感がない。 、グッドリッジの突貫ファイトは相変わらずですが、打たれ弱くなってるんじゃないか、という気もしますな。高齢だし、K-1と掛け持ちしたことでやはりグラウンドの状況判断は鈍くなってるような。チェムベはパンクラス参戦時はやや太めだったがちゃんとシェイプしてきました。 そしてけさ固めでギリギリ締め上げる、あれがグッドリッジのスタミナを奪って、打撃もくらいやすくしたんだろうね。 自分は前も書いたけど、実際お遊びレベルでグラップリングのスパーをやる時においては、けさ固めからの展開が一番得意(というよりそれしかできない)なので、実際のMMAで有効に使われていると嬉しい。 ITサービスや新技術、サブカルチャーで、何かが日本で目立つようになったら、「韓国・台湾・香港ではこれに対応するサービスはどうなっているんだろう?」と考えるクセはつけたほうがいいな。 あなたがビジネスマンやデイトレーダーなら儲かるヒントになるかもしれないし、そうじゃなくても「アジアの近代消費社会(プラス基本的に自由主義的社会)」という部分で、広い視点や相対的な感覚が養える。 例えば前、検索サイトのシェアというのをどこかの新聞で読んだが、中国では例の日本上陸も果たした「百度」がシェアNo.1なことはまあ有名だが、韓国もけっこう地元検索サイトが健闘しているみたいよ。 翻るとじゃあ日本はどうなんだろうか、YAHOO JAPANは日本の国内サイトというべきなのか、そもそも国内検索サイトが目立たないのは日本経済の弱みか強みか、ということをつらつら考えて、そんで話が脱線しちゃうわけですが(笑) 昨日も紹介したが、一気に全国4紙の社説を比較しつつ読める(日経・東京(中日)はなし)お勧めサイト 今回の事態が厄介なのは、今回、どこの人々も勢力もそれなりに強固なエクスキューズがあるということにつきる。 ■その制作費を得るため、行政機関である文化庁(外郭団体の振興会)に申請し、公的助成を得るのも自由だし権利だ。 ■文化庁が、独自に判断し、その助成金支給に許可を出し実行するのも自由(というか合法)だし権利だ ■国会議員が民意の代表者として「文化庁の助成判断に疑問」と調査質問、批判をするのも自由(合法)だし権利だ (※どの程度、国会議員らが行政から特権的に情報を引き出せるかは個別の批判可能。首相諮問機関の委員であった猪瀬直樹や、社会保険庁への質問魔として知られる民主党・長妻昭にまで絡む話だけどね) この時の行動が非合法で違法ならもちろん違法。合法・遵法の抗議行動(例えば反戦デモと同様の)の範囲なら、そのスタイルが不愉快で醜悪ではあるが合法・遵法で・・・残念ながら、自由だし権利だ。 ■そして上映予定の映画館が「合法だろうが違法だろうが、右翼の抗議って対応が面倒くさいからな。うちが上映するかどうかはうちの判断だし、面倒を避けるために上映やめちゃえ」と判断する。・・・これも「このヘタレめ」「カッコわるう」という”美学””道義”の批判は可能だし、するべきだと思うが、・・・間違いなく、彼らの自由だし権利だ 未確認情報なのだが、右翼の街宣車というのは、実は今、けっこう洗練されているらしくて、ひところは非合法上等、逮捕も勲章ぐらいの勢いだったし、警察が怠慢、事なかれであることも多かったが、今の街宣行動はひとつひとつ詰めていくと、はて取り締まれる根拠がない・・・そうだ。各自治体の条例では、かなり詰められるところも出てきて、大使館周辺などでは取り締まれるそうだが。 上にも書いたが「自由な意見表明をしているんだ、反戦デモと同じだろ?」と言われるとなかなか難しいからね。 やるとしたら、ここを厳密というか厳密以上にやり、ある程度警察が職権を乱用してでも(笑)取り締まれば多少は効果がある。 週刊金曜日も。周囲を警察に固めさせ、抗議に来た団体を数人の公安警察に取り囲ませた上で牽制している。 本社前には警視庁神田警察署の藍色のワゴン車が一台、四囲目を光らせる場所に終日配備され、師走に入ったばかりの、それでなくとも慌ただしい出版社ひしめくビル街の一角に張りつめた風景を出現させた。 取り囲む数人の公安警察の存在に臆することなく、それら(注:批判団体の抗議)は展開された。一連の対応をしたのは副編集長の土井伸一郎と同・片岡伸行の二人。 一応、商業的成功が見込めると思ったのだから上映をいったんは決めたのだろう。ただし商売だから当然プラスマイナスは考えるだろうし、考えちゃダメとはいえない。 だから要はこのプラスマイナスを操作するしかないので、まずは警察の制度と体勢によって、街宣(の非合法部分)というリスク=マイナスを極小化する。 しかし合法的街宣、合法的抗議というのも確実に存在するわけ(そんなものは無いという人はいるまい)で、そのマイナスは存在する。 そこで「でも上映すれば客は入るな」というプラスと、マイナスにマイナスをかけるとプラスになるような・・・つまり「上映中止は情けない」「そんな映画館に今後は行かないぞ」と、上映中止がマイナスになるような形になればいい。これもひとつの圧力かといえば、もちろん圧力だ。このへんはこの前のプリンスホテルで書いたことと同じ。 ……映画の内容をどう評価し、どう批判するのも自由だ。しかし、国会議員が公にそろって見るなど、それ自体が無形の圧力になることは容易に想像がつくはずだ。それが狙いだったのかと勘繰りたくもなるが、権力を持つ公的機関の人々はその言動が、意図するとしないとにかかわらず、圧力となることを肝に銘じ、慎重さを忘れてはならない。 上の映画館の態度とも関係するのだが「無形の圧力」とか「意図するとしないとに関わらず圧力」と批判し、そういうこをとやるなと命じるのは、結局は法や実体の裏づけが無い以上、「遠慮しろ」という形で本来自由な、少なくとも「やってはいけない」と明記されていないことを制限するという点では、逆に自由や権利にとっての脅威となり得るんだよ。 だいたい「無言の圧力を感じる」というのは、たやすく新聞記者やテレビ局の「取材」「記事掲載」というものにも敷衍できる。あれは実際、被取材者にとっては相当の「無言の圧力」だろう。 さっきリンクした週刊金曜日のエントリにも、当時鈴木邦男氏が主張した意見に対して私は批判しているよね。 新右翼団体・一水会顧問の鈴木邦男氏は「週刊新潮が一番悪い。抗議した右翼の話を間接的に聞くと『あそこまで書かれてしまったら、やらざるを得ない』ということだった」とメディアの責任に言及する。 いったい何をどうしたら「週刊新潮が一番悪い」ことになるのか。隠された事実を暴き、当事者たちに取材し、自分のスタンスで批判する。それは、この報道があったほうがいいのか、無かったほうがいいのかと考えるだけで分かることだ。 こんな心の動きで自粛したら、右翼の影響を予想することによって行動を規制されるという点では、映画館の上映中止となんら変わらないではないか(爆笑)。 「テレビカメラの撮影は無言の圧力」と言われたとき、私はテレビマンでなかったので何もしなかった。 「すべての取材活動は無言の圧力」と言われたとき、私はジャーナリストでなかったので何もしなかった。 稲田氏はその能力に関係なく(笑)議員バッジをつけている以上は国民の代表・議会の一員として行政(文化庁含む)を監視する立場にある。 だが、それだけだ。たかが議員であり、議員は議員としての権限があるが、それ以上でも以下でもない。 だから文化庁は粛々と議会・議員の調査に聞かれれば答えればいいし、文化庁(外郭団体)も粛々と当該映画に助成した経緯とその正当性を説明すればいい。というか説明責任がある(長妻昭や猪瀬直樹(審議会委員として)が社保庁や道路公団に、各種の資料を公開させるのと変わりない。彼らもその点で「権力者」ではあるが)。そこで”萎縮”するなら、我々納税者が行政に課している義務を果たしてないことになる。「萎縮させるな」ではなく「萎縮するな」と命じるべし。 国会議員に限らずオピニオンリーダーでも報道でもただの野次馬でも、いち早き情報収集への努力というのは珍しくない。一般発表前に資料や原稿を入手したり「関係者試写会」で普通人より早く見たり、内覧会にて一般人より先に情報を入手することはざら。それで絶賛したり批判したりし、それによって社会が影響を受けることはあろう。 んで、検閲というのは見た上で、それを許可したり没にしたりすることだな。稲田らは感想を述べ、文化庁の判断を批判、追及はできるかもしれない。だが映画を直接に(ここ大事ね)止める権限はあるか、無い。基本的には一般人が行けない内覧会に新聞記者やオピニオンリーダーが行くのと同じだ。 第一、この上のエントリで時系列にしたように、今回の問題は右翼の(非合法な?)抗議と、映画会社の公開中止の部分だろう。仮に議員が映画を見たのが一般公開3日後であれば、仮にこの二つが同じ状況でも、問題はないのだろうか。そんなことはあるまい。 その中でもつい最近、天下のNHKが自粛したという意外な事実がこれ。深夜放送で視聴者も少なかったのだろうが、どこの新聞も記事や社説にしなかったな。ただ今回の問題とパラレルになるやろ? 意見書を出したのは、奈良市と周辺の寺院の僧侶20人でつくる親睦(しんぼく)団体「南都二六会(なんとにろくかい)」(会長=橋本純信・十輪院住職)の有志。橋本会長は「眉間(みけん)の白毫(びゃくごう)(白い巻き毛)や長い耳は仏様の特徴そのもの。仏様をちゃかしているようで、違和感、嫌悪感がある。これが印刷されたポスターや案内物は境内には置けない。県外の仏教団体にも私たちの主張を広めていきたい」と話した。 を送り付けたいという欲望を抑えるのに必死でして(笑)。作品は面白い(いやトータル的に面白いかというと微妙だが、その意気やよし!ですね要は)し、連載中止とかしてほしくはないが、この作品のテーマとスケールにふさわしい揉め事も見てみたい気がするのだ(笑)。そういう矛盾した感情ですね要は。 アンケート内容から想像すると、特に「ウルトラマン」「ウルトラセブン」の「最強だと考える怪獣、星人」や「心に残るエピソード」を取り上げるようです。 2008/04/03 12:33 4大新聞も、上映することがそこまで社会的に意義があると唱えるのならば、どこの新聞社でもいいので、どこがのホールでも借り切って期間限定で上映すればいいんじゃないですかね。もちろん有料で。ですがこのような事態になれば警備にも相当掛けなければならないはずで(人員も費用も)自分たちでやってみれば、映画館側が何故回避したかが分るんじゃないの? いやいや、これもただ単にタイトルがリンクされるNHBニュースの読者を騙そうというわけじゃない。石を投げないでそこ。 kamiproでのダナの一言で気付いたのだが――これは格闘技のはなしというより報道全体の問題だが−裁判というのは公判が始まった時にはみな、センセーショナルに取り上げるが、進行している途中での新事実とかはあまり取り上げない。 しかし裁判である以上、おそらく訴状に挙がった争点についてひとつひとつ明らかになっていってるはずだ。 そのへんの報道が足りないので、奮起いただきたいと、また再度注目しなおしたほうがいいという意味を込めてセンセーショナルな見出しをつけた次第。 インリン様結婚ってホントなのかな。どう考えてもネタだと思うんだけど、あえてこの日に発表とかもやりそうな感じするし…… ていうか記事に出てくる相手の元ハッスル社員って、ぶっちゃけ元彼なんですよ。どう考えてもあいつしかいない。 「プロレスとは山あり谷ありのストーリーをあらかじめ定めた、ひとつの表現である。へんに真剣勝負っぽく見せるより、ストーリーや表現をじっくりと作りこもう」 「プロレスは本当に体を鍛えた、強い選手である必要は必ずしも無い(それが役立つこともある)。他のジャンルで名を成した人気者もいいプロレスを見せることができる」 だが、成功すればするで「じゃあ俺たちがやればもっと成功するよ!」と、例えばレイザーラモンの2人を擁する吉本興業が考えるのは当然といえば当然の成り行きだった。 まず、読売新聞の巻頭コラム「編集手帳」が2001年のコラムから中公新書に収録されているということを今まできづかなった。新聞コラムを収録した本といえば朝日新聞「天声人語」が有名だけど、今現在、コラムの質という点では人語子や他の新聞各紙を含めて比較しても「編集手帳」子が圧倒的に抜きん出ている。もう論証不要だろう。あちこちで言われていて今さらの話だ。コラム界のヒョードル、シュルトというか、「コラムの神様の子」という感じだ。 コラムとは自前のレトリックを打撃とし、博覧強記、引用自在をグラウンドとする。両者のレベルを高め、しかもそれぞれを融合させねばならぬのも総合格闘技と同じ。 落語というのは、若手が直の師匠のほか、いろんな名人のところに出稽古にいって技術を学ぶ(これも総合格闘技と同じだな)。桂小金治も、若い頃に小さんから話を教わった。まだ食糧難の時代、白いご飯が楽しみだったという。 ・・・ある日、満腹になって帰る途中、忘れ物に気づいて戻ると、小三治(※小さんの当時の名)夫妻が子供と昼飯を食べていた。サツマイモだった。小金治さんはとまどい、胸をつかれ、帰りの電車で泣いたという。 申し訳なさに、もう稽古に通うのをやめようと思い、師匠の桂小文治さんに相談した。師匠は言った。「大バカやな、お前は。小三治はお前に落語を教えているんやないで。落語ちゅうもんを、この世に残しているんやないか」と。 教わり、芸を受け継いだ人がやがて、おのが食を削ってまで次の世代にそれを引き継ぐ。落語に限るまい。伝統芸能は、伝統文化は、数知れない人々が「志」の細い糸をつないでここまできたのだろう。 小さんさんが87歳で亡くなって4年。今年は長男三語桜さん(59)が六代目を継ぎ、襲名披露の興行がつづいている。あの日、サツマイモの食卓にいた幼い子供だろう。芸の糸、志の糸の末永かれ。 わたしは、最後に悠久の歴史が、そして人と人が、碁というゲームを通じて繋がっていくことが最後のテーマになっていく「ヒカルの碁」を思い出した。 今、はまぞうが混雑してて紹介できないな。名文を紹介し、アフェリエイトの購入者を増やし儲けようと思ったのに(笑)【補足】あとでできた 「影響はあったかもしれないが、言葉にする際は”ない”と答えるのがいいでしょう。そういうものから学べたとするならば、それ(戦争)が必要となってしまう」(イビチャ・オシム) ■「逃げ込める港も近くにない会場で嵐に襲われた場合に避けねばならないことは、海岸線に近づきすぎることなのだ」(塩野七生「ローマ人の物語2」) ■洋画家の里見勝蔵が巨匠ブラマンクをパリに尋ね、指導を仰いだ。ブラマンクは二つの皿を里見の前に置いた。 おお、半日ぐらいかかるかと思ってたら「社説比較くん」が早い!これで全4紙プラス、別の日の朝日社説も一気に読める。 (余談ながら、はてブで社説にブックマークをつける方がいると思うが、どうせならここにエントリを張ることで一気に読める。「社説比較くん」知名度UPのために、また賛否両方を読む機会を与えるためにお奨めしたい) ※社説比較くんは残念ながら東京新聞を地方紙としているのか入っていないが、東京新聞も本日取り上げたので加えるちと5紙となる。 また、葦原骸吉氏の「電気アジール」でも、最新エントリが関連した話題で小生もコメントしているので、合わせて読んでもらえれば。 アンケート内容から想像すると、特に「ウルトラマン」「ウルトラセブン」の「最強だと考える怪獣、星人」や「心に残るエピソード」を取り上げるようです。 ちなみにこの「熱中夜話」は、要はBS漫画夜話が制作費が安いのに視聴率が良く、本にもできるお得なコンテンツなのでもっと幅広い「オタク夜話」を創ろうと企画された。だがNHKでは「オタク」が差別用語、禁止用語らしいんだわ(笑)。 都合により現在三本同時進行中です。他の出版物の締め切りも重なっていて、現在仕事場は戒厳令下。こうならないために テレビアニメの話題が多いな。自分はどんな作品も、漫画は読んでもアニメはみないことがほとんどで、今回もそうなるとは思うが世間的な成功は強く祈っている。 |
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